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キーワードは「社会(公共圏)への参加」

7月13日あたりから今までとは毛色の違う内容を書いてきました。
これは、27日の講演会に呼ばれているので、私にとって「考え方の整理」が必要だったのです。

今回はこの総仕上げとして、「一体私がやってきたことは何だったのか」について記したいです。

あえて一言で述べるとするなら、「社会参加を求めて苦闘してきた」と表現できます。
ですから、私にとってのキーワードは「社会参加」です。

さて、この「社会参加」について、辞書的に言えば「社会人として、社会の一翼を担うこと」となり、これでは意味が広すぎます。

それでは、一体「何を意味しているのか」私なりの解釈で記したいです。

それには「公共圏」の考え方を押さえておく必要があります。
「公共圏」とは、個人が「家で寝たり食べたりする」生活を送る領域−−「私的領域」−−とセットになる言葉です。
人の生活の中で、家から一歩外に出て社会(=他人・会社・役所・学校など)と関わりあいを持つ時間や空間のことです。

この公共圏に主体的に関われるのかどうかが「人としての生き方」を語る上で重要です。
私が単に「社会参加」と言う場合は「公共圏への参加」を差します。

しかし、この「公共圏」への関わり方について言えば、人によってかなりの差が発生しています。

例えば、ある人は「何となく」「意識していない」となるでしょう。

しかし、一方で、こんな人もいます。
◎行政の審議委員になっていて、形式的ではあるが意見を言っている
◎親しくしている市会議員がいて、定期的に開かれる報告会に出て意見交換をしている
◎行政に対して電子メールで要望を送ったことがある
◎住民団体があって、地域の問題について話し合っている


あるいはこんな人もいるでしょう。
◎会社で役員をやっていて会議に出ている
◎労働組合に入っていて、積極的に意見を言っている


この場合は、前述の「ただ何となく」といった人と比べて、「公共圏」への参加度の観点では上と見なせます。

その上、「人としての生き方」の面で見たらどうかと言えば、「公共圏」への参加度が高いほど「格が上」とされます。
ただ、これは単なる形式的な「格」だけなのかと言えば、そうではなく、例えば育児であったり教育であるなど「行政に対する要望」を抱えている場合に、「公共圏」への参加度が高い人の意見が勝ちます。

これは、マイノリティ(少数者)の視点で見ればもっと深刻で、マイノリティの場合、通常が「社会にいない存在」と扱われるため、その上「公共圏」への参加ができなかったら、一層「いない者」として無視され排除されます。

私は、このブログでキシコの「サパティスタ民族解放軍」を紹介したことがあります。

この中で「サパティスタ民族解放軍」が求めているのは「すべての当事者が対等な立場で参加する公共空間で民主的な討議を通じて合意形成を図る社会」であると記しました。
http://www.n-yuki.net/blog.php?itemid=493

これは、私の言う「社会参加」、つまり、「公共圏」への参加と同じ意味です。

「サパティスタ民族解放軍」は、メキシコで抑圧されたマイノリティが立ち上がった運動です。
彼ら・彼女ら、彼でも彼女でもない人たちが求めたのは「革命を起こして自分たちの政府を作る」ことではなく、「完全平等」と「社会参加」だったのです。
故に私は「サパティスタ民族解放軍」に共感できるのです。

私にとっての社会参加とは?


さて、ここまでは、「社会参加」の概念です。これから、「社会参加」にまつわる私の体験を記します。

私自身、サイトの自己紹介で記しているようにセクシュアルマイノリティの当事者です。
今までは「社会の日陰者」だと思っていました。

しかし、2003年くらいからやっと「社会の中でマトモに扱おう」とする機運が出始めてきました。
その中から、ある人は行政の審議会委員になったり、ある人は行政の人権施策の一環で講演会や本の著作を行ったり、ある人はテレビに出るなど盛んに社会参加を実現していた訳です。

単に私もそれに関わりたいと思ったのです。

これには、以下の二点の意味もありました。

第一に、私は社会参加を果たしている当事者とタイプが違うという問題があるのです。
つまり、仮に私が社会参加を果たしている当事者とタイプが同じであったのなら普通に共感できるでしょう。
しかし、そうでなかったので、共感できないばかりか社会から排除されたと感じました。

第二に、私の見聞きした範囲だけでも、社会参加を果たしている当事者とタイプが違う人は意外と多く、実を言うと社会参加を果たしている当事者こそが少数派であると言えるのです。
この事実を広く知らしめたかった面もあります。

さらに付け加えると、私自身が地域社会に関わり、NPOやCB(コミュニティビジネス)でささやかに暮らしていきたいと願っていた面があります。変に会社で差別されながら働くよりも、「人の役に立てる」との実感を得たかったのです。
これは、決して特殊な生き方ではなく、当時の状況で実際にそのような生き方をしている人もそこそこいました。

ただ、それには、政治との繋がりや行政との協調が一般的に必要です。

以上の理由で、私は社会参加そのものを渇望していて以下の三点の行動を起こしました。
◎行政に「公的書類の性別欄削除」とともに「積極的な人権啓発」を求めました
◎話の出来る地方議員を捜し、市政報告会などの形で政治との繋がりができるように求めました
◎行政の審議委員会に応募すると同時に、「社会的マイノリティを審議会委員に採用する」ように要望を送りました。
なお、上記の要望は、セクシュアルマイノリティだけでなく、障がい者も含んでいます。


実際にどうなったのかと言えば、上記は全て「拒否」されました。
この段階で私は守口市という社会(=公共圏)から排除されたと言えるのです。

社会(=公共圏)から排除された上、当事者団体でも「社会参加を果たしている当事者」を中心に運動を盛り上げようとするため、意見が言えない立場に追いやられました。

これについて、別の側面から記したのが以下です。
◎当事者団体内の利権について・・・オルタナティブなメディアでの置き換えを提言
http://www.n-yuki.net/blog.php?itemid=489

くれぐれも言っておきますと、私は利権が欲しかったのではなく、発言の場所が欲しかっただけです。

さて、以上のように、行政からも政治からも排除され、自治体も満足に啓発活動を行わないので地域からも排除されました。
その上、当事者団体からも排除されたため、どこにも行き場が無かったのです。

さらに付け加えれば、当事者団体から排除された理由として、団体内の勢力争い的な面だけではなく、以下の要因も存在します。
◎創価学会とマイノリティ
http://www.n-yuki.net/blog.php?itemid=491

さて、私は統一地方選に出ました。

なぜ出たの言えば、まず前提として、そもそも他の左派現職議員に対して「ジェンダー平等の啓発」一点を取り入れることと交換に選挙応援すると言ったのを拒否された件があります。
一般の市民であっても、要望を一点のみ候補者に申し出て取り入れてもらったら応援することはよくあります。

ちなみに私の知人で、「性同一性障害の人権啓発」一点を公明党の現職市会議員に受け入れてもらった代わりに選挙応援するとの申し出を行い、受け入れられた人がいます。
ちなみに、この人の場合、本音で言えば公明党は嫌っているそうです。

しかも、私の場合は、もっと枠を広げて「ジェンダー平等の啓発」としか言っていないし、それで言いにくかったら「男女共同参画社会の実現」でもいいとも言っているのです。

通常であれば、これくらいなら取り入れても良さそうです。
例えば保守政治家で言えば、亀井静香さんも言っているくらいです。

しかし、現実に拒否されたのですから、仕方ありません。
やむなく、私は選挙に出ることにしました。

そもそも、私の望みは「地域社会に関わり、NPOやCBでささやかに暮らしていきたい」ことと「審議会委員などの形でものが言いたかった」だけです。
要するに、地域社会に参加できながら、行政にも市民として参加する、友好的な市会議員がいて時々市政報告会に参加できれば、私としては全く文句はなかったことを付け加えます。

さて、私は選挙で何を言ったのかと言えば、それは、「排除されているのは私だけではない」との確信のもと「排除される人を出さない社会にしよう」ということです。
具体的には、住民自治の徹底やNPOの活性化、自由に表現できる場所を用意するなどです。

もっとも。当事者団体の支援もありませんし、何か他に変わるものがある訳でもありません。
したがって、こんな体制で当選できる筈も無く、落選しました。

当初は、一方で当事者団体の支援を受けた候補者は実質的にトップ当選しているのですから、悔しいと思う面も無い訳ではありません。
しかし、当事者団体に反旗を翻した状態で対論を提示できたし、その後に講演会を5回ほど行うきっかけになったので、その点では意義があったように思います。

ところで、私が言った「排除される人を出さない」は、今になってますます問われていることだと思います。

貧困問題に詳しい生田武志さんは、貧困について「経済の貧困」だけではなく、「関係の貧困」もあるのだと言っています。
http://www.n-yuki.net/index.php?itemid=441&catid=8

◎「部屋付きの日雇い派遣」の場合、住民票を移していなくて、選挙権さえ無い人が多い
◎野宿生活者の場合はそもそも選挙権が無い
◎若者の要望は全体として政治に反映されない

私が現在、貧困問題にシフトしている理由は、それ自体がマイノリティ問題と不可分だからです。
そして、社会参加(公共圏への参加)はプレカリアート(貧乏人)の問題でもあります。
それは、現実問題として、社会の階層が低ければ低いほど、経済的に貧しければ貧しいほど、社会に対する発言場所や発言の自由度が制約されるからです。

ただし、上記に関して、私は一点見誤っていた点があります。
それは、「公共圏は一つではない」点です。
つまり、「既存の公共圏以外にオルタナティブな(別の)公共圏を作ればいい」のです。
このことは「素人の乱」を見て感じました。

以上、ここまでが今までの私が辿った点です。
さらに、私には「これからどうすればいいのか」の政策を持っています。
それは後日語りたいと思います。
もし、この記事に目を留め、最後まで読んで下さった方がおられたら、感謝します。
ありがとうございました。
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